第21号 (1987年)
小泉達人『歴史学としての、イスラエル古代史の構築を目指して ── 遊牧時代より筆頭四部族の成立まで』をめぐって」 関根 清三「第三イザヤの編年体的解釈 ── イザヤ書六一章1-3節の位置および意味付けの問題を中心に」 宇佐美 公史「実在隠喩としてのソーマ〔からだ〕」 保坂高殿「『名の迫害』の概念規定によせて ── 新約聖書と総督プリーニウス」 第22号 (1988年) 山我 哲雄「『海の奇蹟』 ── 出エジプト記一四-一五章の伝承史的研究 ──」 木田 献一「預言の文書化と終末論の問題 ── イザヤの『回顧録』を中心として ──」 小林 稔「『みことばのなかで作られたものは生命であった』 (?) ── ヨハネ一3-5についての一提案 ──」 伊吹 雄「ヨハネ二〇17試論」 保坂 高殿「ルカとローマ市民権 ── 『おそれ』のモチーフがもつ文学的機能の考察から ──」 第23号「聖書の使信と伝達 ── 関根正雄先生喜寿記念論文集 ──」(1989年) 第I部 津村 俊夫「創世記一章2節の所謂『混沌』について」 関根 清三「『善悪の知識の樹』とは何か ── 創世記二章4節後半―三章24節の解釈をめぐって ──」 山我 哲雄「ハガルとイシュマエル ── 創世記一六章、二一章の伝承史的研究 ──」 池田 裕「ヘブロンの赤い土 ── 失われたアダムの子の感性を求めて ──」 木幡 藤子「パロの心を頑なにするヤハウェ ── 祭司文書の出エジプトの物語 ──」 小泉 達人「ギレアドとガド」 石田 友雄「ナタン預言 ── 歴史記述的解釈 ──」 柴田 文明「敵なる神」 小林 進「アモスとホセア ── 社会批判と祭儀を中心に ──」 鈴木 佳秀「ホセア預言から見たシリア・エフライム戦争」 守屋 彰夫「釈義ノート ── エゼキエル書一六章30節a ──」 泉 治典「枯れ骨の復活 ── エゼキエル書三七章1-14節の釈義 ──」 木田 献一「預言と黙示 ── その連続性と相違について ──」 月本 昭男「ヨブ記をめぐる二、三の省察」 西村 俊昭「コーヘレトの『時間』についての一考察」 村岡 崇光「後期古典ヘブライ語における名詞文」 量 義治「関根正雄先生の神観の特質 ── イザヤの贖罪体験の解釈を手がかりにして ──」 第II部 八木 誠一「イエスの言葉の機能についての一試論」 斎藤 忠資「メタファーとしての宝と真珠の譬話」 高橋 敬基「新約聖書の『神学』と現代的使信 ── マルコ七24-30を中心として ──」 加山 久夫「ルカ福音書の序文にみる使信と伝達」 川島 重成「『不正な管理人』のたとえの一解釈」 伊吹 雄「『パリサイ人と取税人の祈り』のたとえ ── ルカ一八9-14について ──」 土戸 清「前ヨハネ福音書文書資料の発展と伝達 ── ヨハネ一二37-50を中心に ──」 荒井 献「ステパノの弁明 ── その使信と伝達 ──」 川島 貞雄「ローマ人への手紙九章5節の解釈について」 青野 太潮「パウロの『異言』理解」 山内 眞「『ガラテヤ人への手紙』と『弁明書簡』 ── H・D・」ベッツ説をめぐって ──」 宇佐美 公史「新しさの伝達と使信 ── Iテサロニケ四8-9 ──」 土屋 博「牧会書簡の『生活世界』」 川村 輝典「ヘブル書の文学的構造について」 大貫 隆「Iヨハネ一1とトマス福音書語録一七 ── 伝承史的関連から見たIヨハネの論敵の問題 ──」 佐竹 明「ヨハネ黙示録の救済理解」 第24号 (1991年) 大住 雄一「『契約の書』の時代」 大島 力「イザヤ書六章における『かたくなの預言』」 廣石 望「『放蕩息子』の譬物語 (ルカ一五11-32) ── ルカ特殊伝承におけるイエスの譬物語の一側面 ──」 須藤 伊知郎「パウロとそのいわゆる『論敵』の関係について ── コリント人への第二の手紙一〇―一三章の場合 ──」 第25号 (1991年) 宮崎 修二「初期イスラエルの考古学的・人類学的考察 ── カナン文化との断絶と継続 ──」 鈴木 佳秀「ヨシヤ王による占領政策 ── 同化政策に見られる新しいイスラエル像の構築 ──」 泉 守彦「パウロのイスラエル理解 ── 特にローマ書九章における旧約聖書理解を手がかりに ──」 朴 憲郁「『からだの甦り』と『アダム―キリスト論』 ── 第一コリント一五42-49 ──」 第26号 (1993年) 木田 献一「初期預言文学におけるトポスの問題 ── 『預言文学』と『宮廷文学』の観点から ──」 小泉 達人「マナセとマキル」 加藤 久美子「コーヘレトの知恵 ── コーヘレトの書の統一的理解のために ──」 挽地 茂男「イエスと弟子たち ── マルコ福音書における『弟子』の文学的機能をめぐって ──」 太田 修司「pivstiV jIhsou: Cristou: ── 言語使用の観察に基づく論考 ──」 第27号 (1994年) 青野 太潮「パウロの『十字架の神学』の社会倫理への射程」 大島 力「イザヤ書24-27章の文学的構造と主題」 北 博「ゼカリヤにおけるメシア像の変容」 細田 あや子「ルカ福音書における『ガリラヤから従った女性たち』をめぐって ── 読書行為考察の試み ──」 原口 尚彰「遺言は取り消し得ないのか ── ガラテヤ3章15-18節の問題 ──」 第28号 (1995年) 木幡 藤子「最近の五書研究を整理してみると」 大住 雄一「申命記法の重心」 小林 祥人「詩篇におけるハースィードの特色およびマスキーリームとの関連について」 加藤 隆「ルカ福音書5章1節-11節における社会思想」 上村 静「イエスにとっての《神の支配》 ── その『終末論的』解釈の再検討 ──」 第29号 (1996年) 高橋 敬基「新約聖書における民衆と民族 ── パウロとマルコ福音書を中心に ──」 大野 恵正「出エジプト記19-24章の神顕現・契約物語におけるエローヒスト」 大島 力「イザヤ書34-35章の統一性の問題」 筒井 賢治「牧会書簡の敵対者 ── その『一体性』の問題を中心に ──」 藤井 悦子「レビ記ラッバーにおける<贖罪>の諸層 ── <贖罪>に働く2つのベクトル ──」 第30号 (1997年) 本間 敏雄「『アレッポ写本 (The Aleppo Codex)と東西写本』 ── ベン・アシェル写本をめぐるマソラ本文伝承の歴史的考察 ──」 小泉 達人「ベニヤミン族の成立と興隆」 太田 修司「百卒長のアイロニー ── マルコ15章39節と物語批評 ──」 朴 憲郁「『パウロにおける信仰義認と終末時の裁き』」 |
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