第1号「聖書と救済史」(1962年) 関根 正雄「救済史の理解について」 石田 友雄「アンフィクチオニー仮説批判」 中沢 洽樹「捕囚期前の預言者における契約の問題」 田川 建三「福音伝承にみられる『時』の理解の変遷」 八木 誠一「パウロの救済史観」 木下 順治「ヨハネ福音書と救済史」 第2号「史的イエスの問題 ── 共観福音書からトマス福音書まで ──」(1963年) 田川 建三「時と人間 ── イエスの思想研究の試み」 八木 誠一「原始教団における復活信仰の成立」 荒井 献「グノーシスのイエス理解 ── いわゆる『グノーシス救済者神話』批判」 R・J・ハンマー「トマス福音書と歴史的イエス」 第3号「現代旧約学の諸問題」(1964年) はしがき 中沢 洽樹「最近十年間における僕の歌の研究」 木田 献一「ヤハウェ即位の詩篇 ── 研究史の回顧と展望」 吉田 泰「アモスにおける『預言』と『祭儀』」 後藤 光一郎「聖書考古学の鉄器時代 ── MMSThの問題」 加納 政弘「出エジプト記1-15章における過越伝承の問題 ── 旧約祭儀研究の方法論的一考察」 関根 正雄「旧約聖書の地中海的背景」 第4号「聖書における否定の問題」(1966年) 左近 淑「律法における否定の特質」 関根 正雄「預言者における否定の特質」 木田 献一「伝道の書における虚無思想」 並木 浩一「ヨブ記における否定」 八木 誠一「マタイとルカにおける罪とその否定の仕方について」 川島 貞雄「ヨハネ福音書における否定」 木下 順治「ローマ書の否定思想の一考察」 荒井 献「グノーシスにおける創造と無知 ── いわゆる『この世の起源について』の場合」 第5号「聖書学の方法と課題」(1967年) ハイム・ラビン「翻訳としての七十人訳」 池田 裕「デボラの歌におけるイスラエル部族の問題」 木田 献一「選びの信仰の起源」 後藤 光一郎「いわゆる『聖書考古学』について」 関根 正雄「ヘブライ語とヘブライ的思考」 西村 俊昭「RAQの用法について」 高森 昭「Typosの用法について ── 予型的解釈の成立に関する一研究」 荒井 献「ヨハネのアポクリュフォンにおけるソフィア・キリスト論」 田川 建三「マタイ福音書における民族と共同体」 八木 誠一「イエスの思想解釈の視点」 間垣 洋助「ヨハネ福音書における父と子」 第6号「聖書の釈義と神学」(1968年) 中沢 洽樹「日本の聖書学 ── この十年」 深津 文雄「小塩力とその説教」 小田切 信男「小塩力先生の晩年」 八木 誠一「体系的新約神学の基礎概念と基礎構造について ── 一つの見通し」 田川 建三「マルコ福音書の受難神学 ── 伝承史的方法に対する疑問」 荒井 献「エルサレム原始教団における,いわゆる財産の共有制について」 佐竹 明「パウロにおける苦難の理解」 左近 淑「出エジプト記19章3ロ~8節研究」 柴山 栄「士師記14,15章の理解」 第7号「聖書の伝承と思想」(1969年) 関根 正雄「イスラエル思想史の基盤」 カール・ワルケンホスト「祭司伝承におけるシナイ契約の問題」 後藤 光一郎「エゼキエル814とタンムズ・イシュタル型信仰 (ショート・ノート)」 小河 陽「マタイ神学におけるイエスの歴史」 川島 貞雄「イエスとユダヤ教 ── 食物規定の問題をめぐって」 斎藤 忠資「ヘレニズム教団における洗礼理解」 木下 順治「パウロの手紙の前文祝祷の解釈について (ショート・ノート)」 第8号「聖書における啓示と歴史」(1971年) ウルリヒ・ルツ「パウロの歴史理解の基本的諸問題」 並木 浩一「最近の旧約学におけるアンフィクチオニー仮説の位置」 関根 正雄「申命記とその影響 ── 啓示の歴史的背景」 八木 誠一「新約聖書における歴史と啓示」 西村 俊昭「ヨナ書をめぐる問題」 青野 太潮「パウロの終末理解 ── 第Iコリント1520-28を中心として」 第9号「聖書の思想・歴史・言語 ── 関根正雄教授還暦記念論文集」(1972年) 第I部 レオンハルト・ロスト「DEBBER考」 ハイム・ラビン「ハンナの歌とヘブライ民族叙事詩」 深津 文雄「嫉む神」 後藤 光一郎「知恵についての一試論」 早川 貢右「ホセアに於けるヤコブ伝承」 池田 裕「ダビデのエルサレム征服 ── サム下五6-10についての一歴史的考察 ──」 石田 友雄「sapat/wayyispot ’et-yisra’el」 木幡 藤子「アモスの比喩 ── 文体論的考察 ──」 小泉 達人「士師記・ヨシュア記の残存先住民の表」 三笠宮 崇仁「旧約研究ノート ── トーラーにおける“samayim”の用法と、その歴史的背景 ──」 村岡 崇光「パレスチナ系ユダヤ人アラム語の研究」 中沢 洽樹「『僕の歌』 ── 第二の十年 ──」 並木 浩一「イスラエル部族表における十二部族組織の展開」 西村 俊昭「ヨナ書の問題 ── 預言と知恵 ──」 左近 淑「アモス書五章21-27節の釈義的研究」 柴山 栄「マリ文書における『自由』の構造 ── wasarumの考察 ──」 時田 光彦「レビ記一七―二六章における聖の要請」 K・ワルケンホースト「聖書における歴史と思想 ── 嘆きの歌における契約更新の信仰 ──」 吉田 泰「古代オリエントにおける『神の言葉の力』モチーフについて」 第II部 青野 太潮「第IIコリント五章1-10節に於けるパウロと彼の論敵の思想について」 荒井 献「第Iコリントにおけるパウロの論敵の思想とグノーシス主義の問題」 藤村 和義「ヨハネ福音書におけるイエスの自己証言」 秀村 欣二「若年記パウロのエルサレム行について ── van Unnik説の検討を中心として ──」 川村 輝典「ディオグネートスへの手紙 ── 一一、一二章の問題を中心に ──」 間垣 洋介「ヨハネ福音書における栄光」 松永 希久夫「ヨハネ福音書におけるイスカリオテのユダに関する一考察」 小河 陽「原始教会の伝承についての一考察」 佐竹 明「イエスゆえの患難」 八木 誠一「新約思考の根本にあるもの」 善野 碩之助「バシレイア概念を問う」 第III部 泉 治典「創造信仰と自然神学 ── バルトとモルトマン ──」 高森 昭「黙示文学の理解をめぐる現代神学の問題 ── パネンベルクおよびモルトマンの場合 ──」 小田切 信男「安楽死と人の『定め』」 第10号「聖書学の最近の諸論点」(1974年) 石原 謙「グノーシス主義の研究、特にそのキリスト教史的位置づけについて ── 荒井献君著『原始キリスト教とグノーシス主義』の解説と書評をかねて ──」 加山久夫「ルカにおけるドクサ・モチーフをめぐって」 小泉 達人「ギルボアの戦い」 土岐 健治「第一マカベア書における預言者句の研究」 角田 信三郎「調停者マタイ ── マタイ一〇章使徒派遣説話の考察 ──」 八木 誠一「構造主義と聖書学」 |
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