
|
発 足 か ら 半 世 紀 2000年に50周年を迎えた日本聖書学研究所の発足の経緯について、深津文雄氏は次のように回顧されている。
こうして、1950年4月、日本聖書学研究所は発足した。発足の場所は深津文雄氏が牧師をしておられた上富坂教会であった。深津氏が上富坂教会の牧師を辞された1954年、研究所は上富坂教会から四谷の小田切 (信男) 医院の一室に移ったが、その後も、種々の事情により、またそのたび毎に各方面からのご理解を得て、青山学院大学、ロゴス診療所 (調布市)、ルーテル神学大学、日本聖書協会 (銀座) と場所を替え、1988年9月からは、富坂キリスト教センターのご好意で、研究所発足の地でもある同センター内に部屋をかまえて現在に至る。 発足時から現在まで研究所の責任を負われた方々は次のとおり (敬称略)。
この一覧からもわかるように、過去50年のうち、じつに30年間にわたって関根正雄氏が主事 (実質的には所長) として研究所を指導された。1997年度からはふたたび所長体制に戻り、現在、大貫隆氏が所長をつとめる。9名で発足した本研究所は半世紀を経た現在、所員・会員を合わせて120名余を擁する。 月 々 の 例 会 本研究所の主たる目的は、その規約の冒頭にもあるように、「教派を越えて旧新約聖書に関する学術的な研究を行」うことである。具体的には、発足当初から、所員・会員による研究発表と討議からなる月々の例会がその中心的役割をになってきた。カトリックの立場に立つ研究者も、プロテスタント諸教派の研究者も、またキリスト教信仰に批判的な研究者でさえも、聖書の原典とその歴史という同一の土俵に立ち、教派を越えて議論をする。高名な聖書学者も駆け出しの研究者の批判に耳を傾ける。旧約学徒は新約学に教えられ、新約学徒は旧約学に学ぶのである。本研究所に伝統があるとすれば、それは、学問を聖域化せず、特定の学問的立場を権威化しない雰囲気であろうか。例会は、2000年度より、研究発表に加え、新約聖書における旧約聖書の引用を個々に検討している。 研 究 所 の 事 業 月々の例会の他に、本研究所は、大きく分けて三つの事業を果たしてきた。 第一は公開の学術講座の開催。記録に依れば、草創期には公開の聖書学講座を開催していた。例えば1953年の11月から12月にかけて、毎土曜日午後2時半から信濃町教会において前田護郎、深津文雄、佐藤敏夫、関根正雄、小塩力の各氏による連続講座が行われている。後には、学術講座は年に一度の公開講演会となった。旧約学と新約学の分野からそれぞれ一人の講演者がたてられていたが、1999年度、2000年度は、公開講座の形式を公開シンポジウムとした。2001年度からは再び、公開講演会の形式に戻っている。会場は、富坂キリスト教センター。 第二は学術雑誌の刊行。1962年から原則として年毎に『聖書学論集』が発行されている。この論集には前年の例会における発表と討議をもとにした旧新約学関係の論文が収録される。第1巻〜第15巻 (1980年) までは各巻に共通主題 (1巻『聖書と救済史』、2巻『史的イエスの問題』など) が付された。第16巻以後はとくに主題は付されていない。また、1975年からは、日本の聖書学の研究成果を世界に発信すべく、欧文紀要 Annual of the Japanese Biblical Institute (AJBI) を毎年発行している。それによって、本研究所は国際的にも認知されることになった。 第三に、研究所は所員・会員の協力のもと、各種の翻訳事業に携わった。研究所が関わった代表的な翻訳出版物として、死海文書の翻訳『死海文書』(山本書店、初版1963年)、旧新約聖書の敷衍訳『聖書の世界』(全10巻、講談社、1970〜1974年)、外典・偽典の翻訳『聖書外典偽典』(全7巻と補遺2巻、教文館、1975〜1982年) などがあげられる。これらのうち『死海文書』と『聖書外典偽典』は、聖書研究のための基本資料を提供したばかりでなく、それ自体が各方面から関心をもって迎えられたのである。 本研究所のこうした活動と事業は、今後とも、継承されてゆくであろう。しかし、それと同時に、二一世紀を迎えた日本において聖書を学問的に探究することの意味と課題を自らに問い返してゆかねばなるまい。また、1992年から1996年まで富坂キリスト教センターと共催で開催された日韓神学者交流会は、その後、途切れてしまっているが、東アジアの聖書学との連係は、今後とも、追求されてよい。 | ||||||||||||||
|
(文責:日本聖書学研究所副所長 月本 昭男)
|
(c) 2002 Japanese Biblical Institute 日本聖書学研究所